まれによく「タルパを科学的に考察する」「タルパの定義」という主張を見かける
否定をするつもりはないんだけど、そういう言葉を聞いてていつも思うこと
「タルパを科学的に考える」と言うけど、何が言いたいのかよく分からん
その場合の「科学」ってなに?
心理学?
量子学?
生物学?
そして仮に心理学だとしても、深層心理学なのか認知心理学なのかすらはっきりしないという状況
タルパは自問自答を繰り返すことで作るということから、行動心理学の観点から論じることもできるかもしれない
もしくは「人はなぜタルパを作るのか?」といった、社会心理学的観点からの考察かもしれない
もしくは独自の哲学思想でタルパを考えているのかもしれない
哲学は科学のカテゴリーに入らないけどでもほとんどの人は「私のいってることは科学だから~」と言ってるだけで、全然科学と関係がない話を書いてたりする
科学を自称すれば、魔術や宗教の教義もすべて科学になると思ってるのかね?
科学を「自明の真理を前提とし、論を積み上げた体系」と定義するなら、もちろん魔術や宗教や哲学、果ては似非科学や妄想まで"科学"と言い張ることができるわけだが
実は科学と似非科学の境界というのはすごく曖昧
だからこの2つをなるべく明瞭に区別するために科学にはいろいろなルールがある
不可知論のような、反証ができないものは科学じゃない(反証可能性)
いつでもどこでも誰であっても同じ前提で同じことをしたら同じ結果になる(再現性)
人間の主観を入れてはならない(客観性)
などなど…
これらを満たさないのであれば、科学とは呼べない
ある人が「マイナスイオンでガンが治る!だからマイナスイオンは健康にいい!」と主張していたとする
「"健康にいい"とはどういう状態のことですか?病気が治ることですか?病気が治るとはどのような病気ですか?ガンを治すのが"健康にいい"のですか?それでは劇薬とされる抗がん剤は"健康にいいと"結論づけられますが、それは正しいですか?」と次々と疑問が湧いてくる
このことから彼の論が破綻しているのは確定的に明らか
そして統計処理も行われていなかったり、明らかに客観性に欠けている
だからこの場合のマイナスイオン健康説は科学ではない
同様に「タルパを科学的に考える」という言葉も、再現性や客観性が欠けてることが多いんだよね
何をどういう手法で科学的に考えているのだろうか?
「タルパの定義」という話もよく聞く
しかし、世の中のものは厳密に定義することはほとんど不可能だ
2ちゃんねるで「母親にタブレットを買って来てといった結果www」といったようなタイトルのスレが昔あった
しかし彼の母親は電子辞書を買ってきたという
>>1はきっとタブレットPCのつもりで頼んだのだろう
この場合、>>1は「タブレットとは板状のパソコンのこと」と定義していた
しかし母や店員は「タブレットとは板状の電子機器である」と定義していた
別にどっちが間違ってるわけじゃない
ただ単にタブレットの意味がそれぞれ異なっていただけ
人によっては「タブレット?ミンティアみたいな錠剤のお菓子食べたいの?」と考えるかもしれないし、英語圏に住む人なら「石版がどうかしたのか?」と思う人がいるかもしれない
"定義"というのは時と場合によって様々に変わるものであって、絶対的な定義というは存在しない
「絶対に正しいものを"科学"と呼ぶ」とした場合、絶対に正しいと言い切れるものは存在しないから科学は存在しないことになる
ウィーン学団が「少しでも疑いがあるものは科学ではない!」と考えてあらゆる科学を批判したところ、結局科学と呼べるものは何もなかったという逸話はそれなりに有名
そういう経緯があって、科学にそれぞれルールを課して「科学の定義」を明確にしようという試みが今現在も行われているが、どうしても疑似科学と科学の境界が曖昧になってしまう
このように定義付けははっきりできるようで、実はできないもの
それなのに万人に受け入れられる形にはっきり定義しようとするのははっきり言って無謀
議論をするうえで定義をすることはある
「"健康にいい"とはガンが治ることか、予防の効果があるものです」とか
だがあえて「タブレットとはインターネット環境が備わった、子供でも手軽に持ち運びできる電子機器すべてを指します。ノートパソコンやPSP、スマートフォンなどもタブレットに含めます」と乱暴に設定することもある
定義なんて言葉のラベルに過ぎないのだよ
ただのラベルだから時と場合でぺたぺた貼ってはがしてころころ変わる
ぺったんぺったんつるぺったん!
自分の頭のよさをアピールしたい人なんかはこの定義づけを乱用する
「子供が絵本を読んでいます」という文章があったとする
これを"子供"をわらべ、"絵本"を描画書籍、"読んでいます"を研鑽していると定義する
そして「わらべが描画書籍を研鑽している」と表現したりする
ひどいのになると「もべろっとがにゃぬりょりょりょりょをにゃっぽろぴー!」などと誰にも通じない独自の単語を用いて表現したりする
そして一般人が自分の言葉を理解できない様子をみて、「ああ、俺の頭が良すぎて周りがついて来れないんだなw」と悦に浸るのである
んー、いろいろと脱線してる
平常運転平常運転
このブログではよくあることだ
ちなみに俺は「タルパを定義するな!」とか「タルパを科学的に考えるとか偉そうなことを言うな!」と言いたいわけではない
知的活動は個人個人の自由だし、俺自身そういう記事は楽しく読ませてもらってる
ただ、「どうしてこの人は"哲学"ではなくてわざわざ"科学"って言葉を用いてるんだろう?」と言葉の意味を洞察したくなるのである
科学は世間一般で「広く受け入れられた絶対的な真理」という意味合いがあるから、自分の意見をそういう風に見られたいとかかね?
俺が「タルパを科学的考察する」場合、ユング派深層心理学だったり、認知心理学だったり、臨床心理学だったり、はたまた別の理系科学で考察したり、いろいろな観点からタルパを分析することにしてる
一つの視点で考えたりしてない
ただしこれは科学限定の考察で、他にも宗教やスピリチュアル、哲学だとかいろいろな視点でみてる
どれか一つが正しいとも考えてないし、ある意味全部正しいとも思ってる
ただしそれらが真理だとかは一切考えていない
異端なオレ様かっこいい!←この記事の主題
結んで!