ひとへに風の前の塵に同じ
書きたいことはあるのだが、上手く言葉にできない
そう、今は頭がおかしい状態である
人が生まれる理由はそれぞれ
でも一つだけ、共通していることがある
それは「思い通りに行かないことを経験するため」
これだけは全人類皆共通
貧乏人は「お金があればもっと自分がやりたいことができる」と思い込む
金持ちは「時間があればもっと自分がやりたいことができる」と思い込む
金も時間もある人でも、世間で叩かれたり妬まれたりして、思い通りに生きられないものだ
ホリエモンの2ちゃんねるに対しての反応を見ると、「人生ってそういうもんなんだな」と思う
ホリエモンは俺なんかと違って金も時間も発言力も何もかもあるのに、どうも不満がないようには見えないんだよな
そもそも人間の時間には限りがある
寿命という形で
しかしこの世界にはやれることがそれこそ無限にある
いくら生まれ変わってもやり尽せない
それなのにやり尽そうと思って、人は何度も転生する
人間視点じゃなくて霊魂視点では時間は無限だから、やり尽せるだけやり尽そうとする
それでも全然足りないのにね
この世界は確実なようで、実はあやふや
人は過去のことも未来のことも分からない
よく「伝統的な日本の文化では~」とか語ってたりする人がいるけれど、それもほんの30年前の文化だったりする
「男は仕事、女は家事」なんてその典型
昔から女は海女さんとして働いている人もいれば、製糸工場で働いてる人だっていた
看護婦なんて女の仕事
まさか昔の病院に看護婦は一人もいなかった、なんて言う人はいまい?
てか「人類で一番最初にされた仕事」は売春とまで言われている
男が最初に売春をしたならまだしも、基本的に娼婦は女の仕事だし
そういう数百年前から続いてた「伝統」を無視して、高度経済成長やバブルの常識をあたかも「日本は昔からこうだった」と語る人があまりにも多い
あと、「昭和はよかった」とか「最近の若者はなってない」とか
昔を美化するのは人の常
過去の情報なんて、所詮その人が思い浮かべたいように思い浮かべるだけの、妄想に過ぎない
人間の記憶力なんて昨晩の飯すら思い出せないくらいあやふやなもの
昨晩が思い出せても3日前となると厳しい
1週間前は誕生日とかクリスマスとか、そういうイベントの日でもない限りまず無理
人間の記憶なんてその程度なんだよ
ある人が数人の友人と歩いていた
そこを犬が横切った
次の日、その話を一緒に歩いていた友人達と話した
「そういや昨日、可愛い犬が道を横切ってたよね」
しかし友人達は口をそろえて、「えー?犬?猫だったじゃん」と答えた
普通の人は「なんだー。俺の思い違いか。本当は犬じゃなくて猫だったんだー」と思う
それが普通
自分が間違っていて、世界が正しい
でも俺の考えは違う
俺の過去はたしかに「犬をみた過去」であり、他の人たちは「猫をみた過去」を一緒に過ごしたに過ぎない
俺が正しくて世界が間違っている
とは言っても、「いいや!絶対犬だった!猫なわけあるもんか!」と声を荒げるわけではない
表面上は「あー。そういや猫だったかも」などと流す
なんて言うかな
俺の過去を正しいとしつつ、他人の過去も間違いではなく正解として認める
そんな感覚
その瞬間だけ俺だけパラレルワールドにいた、そんな感覚
複数の人が同じ場所で同じ経験をしたからと言って、それは同じ事実ではないのだ
そもそも過去は過ぎ去ったあやふやなものだから、パラレルワールド云々ではなく過去そのものが変わっている可能性もある
厨二病的に言えば「歴史の改ざん」
そういうこともあり得る
頭でっかちな人たちは「いや!過去起きたことは絶対1つ!変わるなんてことはありえない!過去は確定的なものであり、不変的なものなんだ!」と言うだろう
でもそれも何か証拠があるわけではなく、ただ単にそう思いたいだけ
何の確証もない
「俺たちの世界が、そんなあやふやで滅茶苦茶な世界であってたまるか!」って感情論に近い
でも俺にとって過去は変わるものだから
不確かであやふやで、つかみどころがないものだから
だから過去を思い出すことはあまりない
「あの時、あんな失敗をした」とか「昔、ちゃんとあれさえしていれば…」とか、とらわれることもない
そんなことをしても無駄だもの
反省はしても後悔はしない
一番大事なのは過去でも未来でもない
それよりももっとも存在が確かなのは「いま」
だから人は「いま」を一番大事にする必要がある
ある程度霊的な進化を遂げた魂は「より良い来世のために!」などと言ったりする
でもあれも間違い
来世のために今世を犠牲にするべきじゃない
「あなたの前世は○○です」と言ったりする
それも間違い
今生きていて豊かにするべきは前世ではなく、今世なのだから
前世にも来世にもとらわれちゃいけない
だから人間は前世を忘れたほうが何かと都合がいいのだよ
ちなみに仏教では輪廻転生の存在は認めているけど、魂は究極的に存在しないとしている
「魂がないのに生まれ変わるってどういうこと?」と引っ掛かるであろう、この話
経典では
「先生から聞いた詩をあなたが復唱しました。生まれ変わるとはそういうことです」
「ろうそくから別のろうそくへ火を移しました。生まれ変わりとはそういうものです」
そんな風に解説してる
多分それでもいまいち意味が分からないと思う
まず前提知識として、魂は現世に存在していない
だから魂は肉体の中の、どこにも存在していない
脳のなかにも、心臓のなかにも、丹田にも存在しない
「人間は脳で思考する」と現在の科学では考えられている
でもそれも厳密には間違い
脳だけ生きた状態で、体から取り除いたとする
まさに生きた脳だけの状態
それで、その脳は「人間」と言えるのか?
生きていて、思考をしていると言えるのか?
漫画やゲームではよくある設定だけど、現実でそんなことをしても誰も「生きている」なんて思わないだろう
脳は思考を司るけれど、思考を司っているのは脳だけではないのだ
脳があって、心臓があって、肝臓があって、その他いろいろな臓器があって、初めて人間は人間になれるのだ
当然ながら脳本体が人間なんじゃない
そもそも「どこからどのパーツまでそろったら人間か?」も、人によって違うけどね
全部そろってても頭がパーンした死体を見たら、ただの肉塊と判断するだろうし
脳の役割は受信機に近い
テレビが肉体で、電波を受信するパーツが脳、そして電波が魂
そういう構造
で、テレビを分解してもどこにも芸能人は出てこない
それと同じように肉体をどう分解しても魂は出てこない
「人体をいくら解剖してもクオリアが発見できない」のは当たり前
それは魂の作用なのだから
そしてある日今まで使っていたテレビが壊れました
そこであなたは新しいテレビを買いました
新しいテレビと以前使っていたテレビ、どちらも同じ周波数の電波を受信しています
果たして新しいテレビは「古いテレビの生まれ変わり」と言えるのか?
生まれ変わるというのはそういうことなのよ
本当はもうちょっと違うけど、まあだいたいそんな感じ(適当)
「人生には苦しかない」
それを理解することが悟りの第一歩
だから悟りを開いた人はまず絶望的な経験をすることが多い
反面、いわゆる「幸せな人生」を送っている人はいつまで経っても転生を続ける
迫害される者は幸いなのだ
ところで今、空腹をごまかすために先日買った食パンを食べようとしたところ、カビが生えていることに気付いて絶望しました(真顔)
最後に、今まで何度か書こうと思っていたけど結局書かなかった話
引き寄せの法則でお金を呼び寄せることが難しい理由
引き寄せるにはイメージが必要なんだけど、お金をイメージするのは難しい
そういうこと
服は服屋を連想すればいいし、鞄は鞄屋を連想すればいい
そこで素敵な商品を探してる自分をイメージすればいい
でもお金にはそういうものはないよね
あるとしても札束を持ってるだけだとか、通帳に印字された数字が増えただけとか
「どうやって引き寄せるか?」の連想が難しい
だからお金を引き寄せることはほぼ不可能
できないわけではないけれど
それにお金を持っていても、「そのお金をどう使うか?」を具体的に想像できないのも原因
それなら服が欲しいなら服を、鞄が欲しければ鞄を引き寄せればいい
はっきり言って金を連想するのは二度手間
だから効力は薄い
あと、引き寄せの法則は「頭で思い浮かべればいい」ってもんじゃない
ちゃんと引き寄せたい対象に対して自分からアプローチしないと
モテたいならオシャレして、美味しいものが食べたいならレストランに行く
結局そういう行動が絶対必要なのだよ
ハーレムを妄想しただけでそれが現実化するなら、世の中ハーレムだらけよ
結んで!
そう、今は頭がおかしい状態である
人が生まれる理由はそれぞれ
でも一つだけ、共通していることがある
それは「思い通りに行かないことを経験するため」
これだけは全人類皆共通
貧乏人は「お金があればもっと自分がやりたいことができる」と思い込む
金持ちは「時間があればもっと自分がやりたいことができる」と思い込む
金も時間もある人でも、世間で叩かれたり妬まれたりして、思い通りに生きられないものだ
ホリエモンの2ちゃんねるに対しての反応を見ると、「人生ってそういうもんなんだな」と思う
ホリエモンは俺なんかと違って金も時間も発言力も何もかもあるのに、どうも不満がないようには見えないんだよな
そもそも人間の時間には限りがある
寿命という形で
しかしこの世界にはやれることがそれこそ無限にある
いくら生まれ変わってもやり尽せない
それなのにやり尽そうと思って、人は何度も転生する
人間視点じゃなくて霊魂視点では時間は無限だから、やり尽せるだけやり尽そうとする
それでも全然足りないのにね
この世界は確実なようで、実はあやふや
人は過去のことも未来のことも分からない
よく「伝統的な日本の文化では~」とか語ってたりする人がいるけれど、それもほんの30年前の文化だったりする
「男は仕事、女は家事」なんてその典型
昔から女は海女さんとして働いている人もいれば、製糸工場で働いてる人だっていた
看護婦なんて女の仕事
まさか昔の病院に看護婦は一人もいなかった、なんて言う人はいまい?
てか「人類で一番最初にされた仕事」は売春とまで言われている
男が最初に売春をしたならまだしも、基本的に娼婦は女の仕事だし
そういう数百年前から続いてた「伝統」を無視して、高度経済成長やバブルの常識をあたかも「日本は昔からこうだった」と語る人があまりにも多い
あと、「昭和はよかった」とか「最近の若者はなってない」とか
昔を美化するのは人の常
過去の情報なんて、所詮その人が思い浮かべたいように思い浮かべるだけの、妄想に過ぎない
人間の記憶力なんて昨晩の飯すら思い出せないくらいあやふやなもの
昨晩が思い出せても3日前となると厳しい
1週間前は誕生日とかクリスマスとか、そういうイベントの日でもない限りまず無理
人間の記憶なんてその程度なんだよ
ある人が数人の友人と歩いていた
そこを犬が横切った
次の日、その話を一緒に歩いていた友人達と話した
「そういや昨日、可愛い犬が道を横切ってたよね」
しかし友人達は口をそろえて、「えー?犬?猫だったじゃん」と答えた
普通の人は「なんだー。俺の思い違いか。本当は犬じゃなくて猫だったんだー」と思う
それが普通
自分が間違っていて、世界が正しい
でも俺の考えは違う
俺の過去はたしかに「犬をみた過去」であり、他の人たちは「猫をみた過去」を一緒に過ごしたに過ぎない
俺が正しくて世界が間違っている
とは言っても、「いいや!絶対犬だった!猫なわけあるもんか!」と声を荒げるわけではない
表面上は「あー。そういや猫だったかも」などと流す
なんて言うかな
俺の過去を正しいとしつつ、他人の過去も間違いではなく正解として認める
そんな感覚
その瞬間だけ俺だけパラレルワールドにいた、そんな感覚
複数の人が同じ場所で同じ経験をしたからと言って、それは同じ事実ではないのだ
そもそも過去は過ぎ去ったあやふやなものだから、パラレルワールド云々ではなく過去そのものが変わっている可能性もある
厨二病的に言えば「歴史の改ざん」
そういうこともあり得る
頭でっかちな人たちは「いや!過去起きたことは絶対1つ!変わるなんてことはありえない!過去は確定的なものであり、不変的なものなんだ!」と言うだろう
でもそれも何か証拠があるわけではなく、ただ単にそう思いたいだけ
何の確証もない
「俺たちの世界が、そんなあやふやで滅茶苦茶な世界であってたまるか!」って感情論に近い
でも俺にとって過去は変わるものだから
不確かであやふやで、つかみどころがないものだから
だから過去を思い出すことはあまりない
「あの時、あんな失敗をした」とか「昔、ちゃんとあれさえしていれば…」とか、とらわれることもない
そんなことをしても無駄だもの
反省はしても後悔はしない
一番大事なのは過去でも未来でもない
それよりももっとも存在が確かなのは「いま」
だから人は「いま」を一番大事にする必要がある
ある程度霊的な進化を遂げた魂は「より良い来世のために!」などと言ったりする
でもあれも間違い
来世のために今世を犠牲にするべきじゃない
「あなたの前世は○○です」と言ったりする
それも間違い
今生きていて豊かにするべきは前世ではなく、今世なのだから
前世にも来世にもとらわれちゃいけない
だから人間は前世を忘れたほうが何かと都合がいいのだよ
ちなみに仏教では輪廻転生の存在は認めているけど、魂は究極的に存在しないとしている
「魂がないのに生まれ変わるってどういうこと?」と引っ掛かるであろう、この話
経典では
「先生から聞いた詩をあなたが復唱しました。生まれ変わるとはそういうことです」
「ろうそくから別のろうそくへ火を移しました。生まれ変わりとはそういうものです」
そんな風に解説してる
多分それでもいまいち意味が分からないと思う
まず前提知識として、魂は現世に存在していない
だから魂は肉体の中の、どこにも存在していない
脳のなかにも、心臓のなかにも、丹田にも存在しない
「人間は脳で思考する」と現在の科学では考えられている
でもそれも厳密には間違い
脳だけ生きた状態で、体から取り除いたとする
まさに生きた脳だけの状態
それで、その脳は「人間」と言えるのか?
生きていて、思考をしていると言えるのか?
漫画やゲームではよくある設定だけど、現実でそんなことをしても誰も「生きている」なんて思わないだろう
脳は思考を司るけれど、思考を司っているのは脳だけではないのだ
脳があって、心臓があって、肝臓があって、その他いろいろな臓器があって、初めて人間は人間になれるのだ
当然ながら脳本体が人間なんじゃない
そもそも「どこからどのパーツまでそろったら人間か?」も、人によって違うけどね
全部そろってても頭がパーンした死体を見たら、ただの肉塊と判断するだろうし
脳の役割は受信機に近い
テレビが肉体で、電波を受信するパーツが脳、そして電波が魂
そういう構造
で、テレビを分解してもどこにも芸能人は出てこない
それと同じように肉体をどう分解しても魂は出てこない
「人体をいくら解剖してもクオリアが発見できない」のは当たり前
それは魂の作用なのだから
そしてある日今まで使っていたテレビが壊れました
そこであなたは新しいテレビを買いました
新しいテレビと以前使っていたテレビ、どちらも同じ周波数の電波を受信しています
果たして新しいテレビは「古いテレビの生まれ変わり」と言えるのか?
生まれ変わるというのはそういうことなのよ
本当はもうちょっと違うけど、まあだいたいそんな感じ(適当)
「人生には苦しかない」
それを理解することが悟りの第一歩
だから悟りを開いた人はまず絶望的な経験をすることが多い
反面、いわゆる「幸せな人生」を送っている人はいつまで経っても転生を続ける
迫害される者は幸いなのだ
ところで今、空腹をごまかすために先日買った食パンを食べようとしたところ、カビが生えていることに気付いて絶望しました(真顔)
最後に、今まで何度か書こうと思っていたけど結局書かなかった話
引き寄せの法則でお金を呼び寄せることが難しい理由
引き寄せるにはイメージが必要なんだけど、お金をイメージするのは難しい
そういうこと
服は服屋を連想すればいいし、鞄は鞄屋を連想すればいい
そこで素敵な商品を探してる自分をイメージすればいい
でもお金にはそういうものはないよね
あるとしても札束を持ってるだけだとか、通帳に印字された数字が増えただけとか
「どうやって引き寄せるか?」の連想が難しい
だからお金を引き寄せることはほぼ不可能
できないわけではないけれど
それにお金を持っていても、「そのお金をどう使うか?」を具体的に想像できないのも原因
それなら服が欲しいなら服を、鞄が欲しければ鞄を引き寄せればいい
はっきり言って金を連想するのは二度手間
だから効力は薄い
あと、引き寄せの法則は「頭で思い浮かべればいい」ってもんじゃない
ちゃんと引き寄せたい対象に対して自分からアプローチしないと
モテたいならオシャレして、美味しいものが食べたいならレストランに行く
結局そういう行動が絶対必要なのだよ
ハーレムを妄想しただけでそれが現実化するなら、世の中ハーレムだらけよ
結んで!