53ヶ月
「見ろぉ、人が53のようだ!」の月
この書き出しに特に意味はない
でも書かないとのちのち後悔する
そう思ったのだ
基本ネタに走るからな、俺は
昨晩辺り、寝る前に「俺とマオって、主従関係が逆転してる感じがするなあ…」とふと思った
寝る前だから、寝ぼけ頭ではあったけど
実際俺から「これをしろ」「あれをしろ」と指示を出したことがほとんどない
逆に「あれは今日は禁止よ」「これはなるべく避けられてね」と、マオから言われることが多い
奥さんに頭が上がらない従財格(疑惑)だからね
しょうがないね
でも基本はいつもマオは俺を立ててくれる
だから俺も素直にアドバイスを受けられるのだ
そしてあくまでアドバイス止まりで、最終的な決定権は俺にある
だから楽ってのもある
俺が何もかも決めて、俺が相談もなく実行するならそれは独裁
でもあくまで従者が考えて、それを案として提出して、最後に君主がそれを裁可するスタイルなのが我が家
そう、蒼夜家は君主制民主主義なのだ(迫真)
ただし俺が実行するための案を一切出さないってわけではない
実際に学生の頃、班長が頼りない時は俺が先陣切って指揮をとったことがあったし
リーダーシップがないわけではないが、基本それは発揮しない
周囲のメンバーが「こうしたほうがいいんじゃない?」と案を出したらそれに従う
「いやいや、こうしたほうがいいよ」って別の案を出したら、最終的に決定するのが俺
これが大抵上手く行く
一般の人は「リーダーシップ=指導力」と考える傾向にある
「黙って俺について来い!」って有無も言わさないような人
でも実際、それはただの傲慢で終わる
指示である以上部下は従うかもしれないが、内心反発する
すると「従うのもアホらしい」と手を抜き始める
そういうもんよ
指導力はリーダーシップの一要素に過ぎない
必要な場面もあるにはあるが、それだけでは乗り切れない
そういうものよ
さて、せっかくだからタルパの話に戻すか
珍しくタルパブログをしてるぞ、ここ
昨今のタルパ界事情にはまったく疎い俺
昔はタルパまとめやTwitter、タルパブログに結構顔を出していた
でも今はFC2の訪問履歴に残ってるブログしか読まなくなった
あとは交流があるorあったところ
昔はタルパについていろいろ勉強したかったから覗いていた
でも今はただの娯楽で読んでる
そういう心境の変化
タルパって別に勉強とか修行とか必要な世界じゃないんだよね
はっきり言って自己満足の世界
オート化したらそれでいいやって人もいれば、視覚化したい人もいる
なかには聴覚化を目指したり、元ネタチベット密教のtalpaを再現しようとする人もいるかもしれない
でも俺としては「マオとコロナが幸せそうにしてるなら、現状維持でいいかなあ…」って思ってる
完全に満足してる
俺はタルパ垢をTwitterに持っていない
っていうのも、いい話を聞かないから
タルパブログとTwitterを両立してる人のほとんどは「タルパがよく分からなくなりました…」って、すごく暗い記事を書いてる場合が多い
それを読むたびに「タルパクラスタはおそろしいところだ…(なかやまきんにくん並の感想)」と思ってしまう
Twitterは思ったことを気軽につぶやけるSNS
これが長所の一つなんだけど、逆に短所でもある
簡単に投稿できるから、深く考えないで何となく発言する
それが誰かの逆鱗に触れてしまうこともあるのだ
そして炎上
それに加えて、つぶやける文字数が少ない
文字数に限りがあって思う文が書けないのに、そこで討論が行われる
結果として言葉足らずの発言が多くなって、思うように相手に意見が伝わらない
意見交換にはあまり向かない
だからってわけじゃないけど、俺はブログを選んだ
まあ、タルパブログとしてブログを作ったわけでもないんだがね
今はなんか、タルパ界と魔術界がTwitterで激突してるんだっけ?
そんな話をどっかで見た
まあ昔から魔術界とはそりが合わなかったけどさ
俺は昔、洋の東西を問わず魔術について勉強をしてた時期もあった
でもタルパを叩く要素が特にどこかにあるとも思えないんだよな
「魔術の訓練は厳しい!命がけだ!」って思って猛特訓してる人にとって、タルパなんてお手軽魔術(笑)が気に食わないのかな
とは言っても丑の刻参りだとか、そんな難易度が高くない魔術もあるんだがね
神社への願掛けも魔術の一種だし、お礼参りは自分にかけた魔術を解除する儀式
もしかしたらそれらも魔術師たちにとって「まがい物」なのかもしれないが
あと、タルパが有名になってから、一向に解決していない問題がある
それは「タルパ」の定義
昔っから「お前のはタルパじゃない」「タルパの定義はこれだ」と、ずっと言い争ってる
そして進展がない
その結果「ナフラ」って概念も生まれた
これは学術的な話で発展した概念ではなく、「タルパの定義タルパの定義、いい加減うるさい」って思った人たちが考えた避難所だと俺は思ってる
いい加減辟易するのも分かるけどね
タルパの定義は何度か書いたけど、あれはあくまで「俺のなかの【タルパ】の定義」
そもそも定義は人の数だけあっていいものなのに、「定義は常に一つ!」って考えてる人が多いんだよ
定義も、真理も、真実も、世界も、決して一つではないというのに
これは完全に学校教育の弊害なんだろうな…
試験では答えが複数あってはいけないもの
俺としては鎌倉幕府の成立が1192だろうと1185だろうと特に問題ないと思ってる
天皇による征夷大将軍の任命が幕府の成立条件だとすれば1192年だし、実質的な権力を持ったのが成立条件とするなら1185年
ちなみに鎌倉幕府の成立年は1192年と1185年の2つだけではない
1180年説もあるし、1190年もある
「幕府成立の条件は何か?」が学者によって異なるため、答えも変わって来る
それを無理矢理「答えは一つしかない!1192年と書いたらバツ!」と学校側が生徒に強制してるだけでしかない
俺としては「もうさ、鎌倉幕府がいつ成立したか?じゃなくて『1185年に文治の勅許』があって、『1192年に征夷大将軍に任命』でいいじゃないか。そんなに幕府の成立した年が重要か?」と思うのよ
てか鎌倉幕府は何かの宣言で成立したものじゃないからなあ…
源氏が政権を握ってたのを、後世の人が「鎌倉幕府」と呼んだだけだし
非常に曖昧な事柄を、試験に出す問題にする方がおかしい
…まあ、歴史自体、諸説がいろいろあるから、答えを一つに絞ることが困難なんだけど
だから結局イデオロギーに利用されやすくなるわけで
でだ、タルパの定義もこれと同じ
タルパの捉え方で答えが変わる
ついでに言うとタルパはそもそも学問じゃない
魔術としても体系化されていない
占術や魔術、宗教は見方によって「科学」と定義付けることができる
でもタルパに関しては絶対無理
まず体系化するための、タルパについての前提がない
魔術か?心理学か?それともチベット密教、つまり仏教か?
どの観点から話すかの前提がまったくない
次に再現可能性がない
必ずオート化や視覚化する方法が確立していない
何より、結果を他人と比較できない
そして反証可能性がない
ネットでもよくあることだが、大声を出したら勝ちの風潮がある
何とでも言えるので泥仕合になる
こんな整備もされてない状態で「議論」なんてできないのよ
議論を開始する前に「タルパとは何か?」を相手と話し合って、お互いの妥協点を決めてから議論する必要がある
…まあ、現実はお互いなかなか譲らないし、この妥協点を見つけることすら難しいんだけどね(遠い目)
俺は基本誰かと議論するときは「定義なんてどうでもいいから君に合わせるわ。説明して」と相手に丸投げする
そして相手の土俵で話し合う
例え「タルパとは玉ねぎのことである」って前提でも、それについて真面目に話し合う
「タルパのみじん切りって目に来るよねー」「包丁をちゃんと研げばそこまで目にダメージないよ!」みたいな
俺は現世(うつしよ)がどういうところかだいたい把握してる
だから「正しいこと」に興味がない
そんなものにこだわる意味がない
どんなバカげた前提でも、相手が真剣ならそれに合わせる
とは言っても、真面目な話をするのは相手がそれを望んでいる場合だけだがね
相手がおちょくってるだけの時は、真面目な話をしても無駄だし
おちょくりにはおちょくりで返すようにしてる
整備もされていない泥仕合の場、それが「タルパの議論」の場
そしてこの状態は大抵居心地がいいもの
議論が成り立たないところだから、「絶対に論破されない」「頭が悪くても何とでも言える世界」
議論に巻き込まれる人は大変だね
Twitterに垢がないワイ、高みの見物
てか俺って、タルパ界でどういう位置づけなんだろうね
古参タルパーのうちに入ってるかも分からん
一応、タルパまとめには一番上にリンクがまだ残っているようだが…
ちなみに1日に1人はおろか、3日に1人ここから来るかも怪しい(真顔)
これだけ見りゃ有名人っぽい感じもするが、そんな実感はまったくない
てか自分の評判について調べようとも全くしてないし
俺の目がつかないところで悪口を言われようと称賛されようと、「あ、そうですか」としか思えない
称賛されるだけの人も、また、批判されるだけの人もいない
強く称賛される人は、同じく強く批判されるものよ
時期が同じとは限らないけど
あのオウム真理教の麻原彰晃も今では死刑囚と批判されるけど、昔は神のような扱いだったわけだし
大物でテレビにも引っ張りだこだった
昭和天皇は名君であると称賛されるとともに、歴史的大罪人と見る人もいる
戦争責任がどうとかね
芸能人も同じ
華やかな世界に住んでると思われがちだけど、基本的にどろどろしてる
一部の人は称賛するけれど、ネットの大型掲示板ではボロクソに叩く人もいる
それが原因で精神的に病む人もいれば、薬物に逃げる人もいる
芸能人は金持ちかもしれないが、お金じゃ「誰にも叩かれない、どんな人にも好かれる」って願いはかなえられないのだよ
称賛と侮蔑はコインの表と裏のようなもの
称賛されるほど注目される人は、別の所で人から侮蔑される
その覚悟ができない人は有名になることを避けた方がいい
その重圧に耐えられるのは余程神経が図太いかバカのどちらか
…うーん、どうしてもタルパの話からそれてしまう
まあ書きたいことを書くブログだからいっか(開き直り)
結んで!
この書き出しに特に意味はない
でも書かないとのちのち後悔する
そう思ったのだ
基本ネタに走るからな、俺は
昨晩辺り、寝る前に「俺とマオって、主従関係が逆転してる感じがするなあ…」とふと思った
寝る前だから、寝ぼけ頭ではあったけど
実際俺から「これをしろ」「あれをしろ」と指示を出したことがほとんどない
逆に「あれは今日は禁止よ」「これはなるべく避けられてね」と、マオから言われることが多い
奥さんに頭が上がらない従財格(疑惑)だからね
しょうがないね
でも基本はいつもマオは俺を立ててくれる
だから俺も素直にアドバイスを受けられるのだ
そしてあくまでアドバイス止まりで、最終的な決定権は俺にある
だから楽ってのもある
俺が何もかも決めて、俺が相談もなく実行するならそれは独裁
でもあくまで従者が考えて、それを案として提出して、最後に君主がそれを裁可するスタイルなのが我が家
そう、蒼夜家は君主制民主主義なのだ(迫真)
ただし俺が実行するための案を一切出さないってわけではない
実際に学生の頃、班長が頼りない時は俺が先陣切って指揮をとったことがあったし
リーダーシップがないわけではないが、基本それは発揮しない
周囲のメンバーが「こうしたほうがいいんじゃない?」と案を出したらそれに従う
「いやいや、こうしたほうがいいよ」って別の案を出したら、最終的に決定するのが俺
これが大抵上手く行く
一般の人は「リーダーシップ=指導力」と考える傾向にある
「黙って俺について来い!」って有無も言わさないような人
でも実際、それはただの傲慢で終わる
指示である以上部下は従うかもしれないが、内心反発する
すると「従うのもアホらしい」と手を抜き始める
そういうもんよ
指導力はリーダーシップの一要素に過ぎない
必要な場面もあるにはあるが、それだけでは乗り切れない
そういうものよ
さて、せっかくだからタルパの話に戻すか
珍しくタルパブログをしてるぞ、ここ
昨今のタルパ界事情にはまったく疎い俺
昔はタルパまとめやTwitter、タルパブログに結構顔を出していた
でも今はFC2の訪問履歴に残ってるブログしか読まなくなった
あとは交流があるorあったところ
昔はタルパについていろいろ勉強したかったから覗いていた
でも今はただの娯楽で読んでる
そういう心境の変化
タルパって別に勉強とか修行とか必要な世界じゃないんだよね
はっきり言って自己満足の世界
オート化したらそれでいいやって人もいれば、視覚化したい人もいる
なかには聴覚化を目指したり、元ネタチベット密教のtalpaを再現しようとする人もいるかもしれない
でも俺としては「マオとコロナが幸せそうにしてるなら、現状維持でいいかなあ…」って思ってる
完全に満足してる
俺はタルパ垢をTwitterに持っていない
っていうのも、いい話を聞かないから
タルパブログとTwitterを両立してる人のほとんどは「タルパがよく分からなくなりました…」って、すごく暗い記事を書いてる場合が多い
それを読むたびに「タルパクラスタはおそろしいところだ…(なかやまきんにくん並の感想)」と思ってしまう
Twitterは思ったことを気軽につぶやけるSNS
これが長所の一つなんだけど、逆に短所でもある
簡単に投稿できるから、深く考えないで何となく発言する
それが誰かの逆鱗に触れてしまうこともあるのだ
そして炎上
それに加えて、つぶやける文字数が少ない
文字数に限りがあって思う文が書けないのに、そこで討論が行われる
結果として言葉足らずの発言が多くなって、思うように相手に意見が伝わらない
意見交換にはあまり向かない
だからってわけじゃないけど、俺はブログを選んだ
まあ、タルパブログとしてブログを作ったわけでもないんだがね
今はなんか、タルパ界と魔術界がTwitterで激突してるんだっけ?
そんな話をどっかで見た
まあ昔から魔術界とはそりが合わなかったけどさ
俺は昔、洋の東西を問わず魔術について勉強をしてた時期もあった
でもタルパを叩く要素が特にどこかにあるとも思えないんだよな
「魔術の訓練は厳しい!命がけだ!」って思って猛特訓してる人にとって、タルパなんてお手軽魔術(笑)が気に食わないのかな
とは言っても丑の刻参りだとか、そんな難易度が高くない魔術もあるんだがね
神社への願掛けも魔術の一種だし、お礼参りは自分にかけた魔術を解除する儀式
もしかしたらそれらも魔術師たちにとって「まがい物」なのかもしれないが
あと、タルパが有名になってから、一向に解決していない問題がある
それは「タルパ」の定義
昔っから「お前のはタルパじゃない」「タルパの定義はこれだ」と、ずっと言い争ってる
そして進展がない
その結果「ナフラ」って概念も生まれた
これは学術的な話で発展した概念ではなく、「タルパの定義タルパの定義、いい加減うるさい」って思った人たちが考えた避難所だと俺は思ってる
いい加減辟易するのも分かるけどね
タルパの定義は何度か書いたけど、あれはあくまで「俺のなかの【タルパ】の定義」
そもそも定義は人の数だけあっていいものなのに、「定義は常に一つ!」って考えてる人が多いんだよ
定義も、真理も、真実も、世界も、決して一つではないというのに
これは完全に学校教育の弊害なんだろうな…
試験では答えが複数あってはいけないもの
俺としては鎌倉幕府の成立が1192だろうと1185だろうと特に問題ないと思ってる
天皇による征夷大将軍の任命が幕府の成立条件だとすれば1192年だし、実質的な権力を持ったのが成立条件とするなら1185年
ちなみに鎌倉幕府の成立年は1192年と1185年の2つだけではない
1180年説もあるし、1190年もある
「幕府成立の条件は何か?」が学者によって異なるため、答えも変わって来る
それを無理矢理「答えは一つしかない!1192年と書いたらバツ!」と学校側が生徒に強制してるだけでしかない
俺としては「もうさ、鎌倉幕府がいつ成立したか?じゃなくて『1185年に文治の勅許』があって、『1192年に征夷大将軍に任命』でいいじゃないか。そんなに幕府の成立した年が重要か?」と思うのよ
てか鎌倉幕府は何かの宣言で成立したものじゃないからなあ…
源氏が政権を握ってたのを、後世の人が「鎌倉幕府」と呼んだだけだし
非常に曖昧な事柄を、試験に出す問題にする方がおかしい
…まあ、歴史自体、諸説がいろいろあるから、答えを一つに絞ることが困難なんだけど
だから結局イデオロギーに利用されやすくなるわけで
でだ、タルパの定義もこれと同じ
タルパの捉え方で答えが変わる
ついでに言うとタルパはそもそも学問じゃない
魔術としても体系化されていない
占術や魔術、宗教は見方によって「科学」と定義付けることができる
でもタルパに関しては絶対無理
まず体系化するための、タルパについての前提がない
魔術か?心理学か?それともチベット密教、つまり仏教か?
どの観点から話すかの前提がまったくない
次に再現可能性がない
必ずオート化や視覚化する方法が確立していない
何より、結果を他人と比較できない
そして反証可能性がない
ネットでもよくあることだが、大声を出したら勝ちの風潮がある
何とでも言えるので泥仕合になる
こんな整備もされてない状態で「議論」なんてできないのよ
議論を開始する前に「タルパとは何か?」を相手と話し合って、お互いの妥協点を決めてから議論する必要がある
…まあ、現実はお互いなかなか譲らないし、この妥協点を見つけることすら難しいんだけどね(遠い目)
俺は基本誰かと議論するときは「定義なんてどうでもいいから君に合わせるわ。説明して」と相手に丸投げする
そして相手の土俵で話し合う
例え「タルパとは玉ねぎのことである」って前提でも、それについて真面目に話し合う
「タルパのみじん切りって目に来るよねー」「包丁をちゃんと研げばそこまで目にダメージないよ!」みたいな
俺は現世(うつしよ)がどういうところかだいたい把握してる
だから「正しいこと」に興味がない
そんなものにこだわる意味がない
どんなバカげた前提でも、相手が真剣ならそれに合わせる
とは言っても、真面目な話をするのは相手がそれを望んでいる場合だけだがね
相手がおちょくってるだけの時は、真面目な話をしても無駄だし
おちょくりにはおちょくりで返すようにしてる
整備もされていない泥仕合の場、それが「タルパの議論」の場
そしてこの状態は大抵居心地がいいもの
議論が成り立たないところだから、「絶対に論破されない」「頭が悪くても何とでも言える世界」
議論に巻き込まれる人は大変だね
Twitterに垢がないワイ、高みの見物
てか俺って、タルパ界でどういう位置づけなんだろうね
古参タルパーのうちに入ってるかも分からん
一応、タルパまとめには一番上にリンクがまだ残っているようだが…
ちなみに1日に1人はおろか、3日に1人ここから来るかも怪しい(真顔)
これだけ見りゃ有名人っぽい感じもするが、そんな実感はまったくない
てか自分の評判について調べようとも全くしてないし
俺の目がつかないところで悪口を言われようと称賛されようと、「あ、そうですか」としか思えない
称賛されるだけの人も、また、批判されるだけの人もいない
強く称賛される人は、同じく強く批判されるものよ
時期が同じとは限らないけど
あのオウム真理教の麻原彰晃も今では死刑囚と批判されるけど、昔は神のような扱いだったわけだし
大物でテレビにも引っ張りだこだった
昭和天皇は名君であると称賛されるとともに、歴史的大罪人と見る人もいる
戦争責任がどうとかね
芸能人も同じ
華やかな世界に住んでると思われがちだけど、基本的にどろどろしてる
一部の人は称賛するけれど、ネットの大型掲示板ではボロクソに叩く人もいる
それが原因で精神的に病む人もいれば、薬物に逃げる人もいる
芸能人は金持ちかもしれないが、お金じゃ「誰にも叩かれない、どんな人にも好かれる」って願いはかなえられないのだよ
称賛と侮蔑はコインの表と裏のようなもの
称賛されるほど注目される人は、別の所で人から侮蔑される
その覚悟ができない人は有名になることを避けた方がいい
その重圧に耐えられるのは余程神経が図太いかバカのどちらか
…うーん、どうしてもタルパの話からそれてしまう
まあ書きたいことを書くブログだからいっか(開き直り)
結んで!