脳と意識

脳死は人間の死と言えますかという記事を読んで

このブログの一番最初の記事は脳死について触れてた、と思う
あの頃は本当に思ったことを書くだけで、読み手のことも何も考えてない

…まあ、今も考えてるとは言えないけどw


とりあえず俺の臓器移植の見解について書こうと思う
結論から言うと「俺はしないけど、したい人はすればいいんじゃね?」といういつもの見解

臓器移植をいろいろディスる内容になるけど、臓器移植を否定するつもりはない
したい人はすればいい





さて、まず臓器移植の前に脳死について
脳死が語れないと臓器移植について語れない


現在の脳死判定は簡単にかいつまむと「昏睡状態で意識がない」「自発的な呼吸がない」「瞳孔の大きさが変化しない」のチェックで行われる
厳密にいえばもうちょっとあるけど、だいたいこんな感じ



でもこの判定には欠陥があって、自発的な呼吸をするかどうかを日本ではチェックしない
リサーチ不足だから断言できないけど、チェックしない病院は確実に存在する

と、いうのも瀕死の人間から人工呼吸器をとったら死んじゃうから
だからこのテストは実施しないこともある


逆にいえば「脳死が確定してないけど、脳死ってことにしましょうね☆」って病院が存在するということだ
この日本で

実際自発呼吸のテストをしないで脳死判定したのに意識を取り戻した例が日本でも数十件存在する
韓国で同じことがあったらニュースになって、ねらー達は「さすが韓国wどうせ誤診だったんだろwww」って反応をしてた

なぜか日本だとニュースにならない





そして実際、「脳死じゃないのに臓器とられた人がいるんじゃね?」ってことが問題になった
それが日本で初めての臓器移植、和田心臓移植事件である
詳しくは自分で調べるといい

てかこういうことも知らないのに「脳死判定は絶対!だから脳死したら臓器とっても大丈夫!」って考える人が多いのよ





何よりだ、このテスト方法だと脳幹機能しかテストできない
小脳や大脳は生きている→意識がある可能性を考慮してない

脳死とは「脳の死」ではなくて、あくまで脳幹が死んだことが確定してるだけ


机上の脳死判定と実際の脳死判定、そして俺が考える脳死の状態が異なっており、診断テストそのものが信用できない
これが俺が臓器移植を嫌う第一の理由





次に「脳死だと意識がない」という常識
そもそも「意識がある、ない」ってどういう状態?


体に刃物が刺されました
刺された人は暴れました

さて、問題です
暴れた人間は意識があるでしょうか?




普通の人は「いや、それ意識あるでしょ。だから暴れるんでしょ」と考える
でも脳死の人も臓器を摘出する際は麻酔をしてるんだな
暴れるから
この際、血圧と心拍も上昇してる


でも実際の医療現場では「うん、反射だね☆」って考えるだけ
ただの反射だったら血圧と心拍は上昇しないと思うんだけど、どうなんですかねえ?




そして今の医療界では「意識は脳にある」と考えてる
でもこれ、誰も証明してないよね?

思考は脳で行うかもしれない
でも意識は別にあるかもしれない

思考=意識ってわけでもあるまい?





仏教では「自分」を5つに分類してる
それぞれを色、受、想、行、識と呼ぶ

色は肉体
受は感じること
想は心で思い描く概念
行は意志
識は認識




さて、「自分」とはどれでしょう?

肉体?
だったらあなたが死んだあと、意識が残ってない肉の塊の「それ」は、やはりあなたと言えるのか?
自分と言えるのか?


じゃあ五感が自分か?
痛いとか、くすぐったいとか、熱いとか、渋いとか…
いろいろあるけど、そういった概念自体が自分?

渋いのが自分?
やっぱりこれも自分じゃない

でも俺は渋いダンディーなオジサマになりたい



では心で思い描く概念が自分?
「お腹が空いた」とか「楽しい」とか、そういう思考が自分なのか?

たしかにこれは自分と言えるのかもしれないけど、空腹そのものが自分でも楽しさそのものが自分でもない
あくまで「自分」があって、それがいろいろ考えてるだけ
だからこれもやっぱり自分じゃない



じゃあ行はどうか?
「絵を描きたい」「勉強したくない」と思うのが自分?

でも「どうしてしたいの?」「したくないの?」と問われてもしたいもんはしたいし、したくないもんはしたくないとしか言えない
自分だったら制御できるはずなのに、それができない
だからこれも自分じゃない



最後の識は?
「あれが好きだ」とか「これは楽しい」とか、そういう認識が自分なのか?
でもこれも好きだから好き、楽しいから楽しいだけ
自分で制御できるもんじゃない

だからこれも自分じゃない




で、仏教の結論はこうなった
「そもそも自分ってのは存在しないんだよ!」

ナ、ナンダッテー








で、話を戻して意識の話
意識ってなに?

それが人間の本体で、それを基準に判定してるの?
それをどうやって判定するの?
判定できたら哲学的ゾンビなんて概念は存在しないんだよ?





「脳に異常があったら意識が変化するでしょ?怒りっぽい人が交通事故で脳を損傷したら穏やかになったとか、よく聞く話じゃん」っていう人もいる
いや、それ、脳だけの問題じゃないよね?

お腹が痛い時ってイライラして怒りっぽくなるように意識が変化するよね?
快適な温度を皮膚が感じると、心地よくて優しくなれるよね?

どうして脳だけそういう視点でみるのか、俺にはよう分からん





「脳死は意識がない」ってのはただの決めつけで、根拠はただ単に「自分がそう思うから」ってだけのこじつけ
理屈ですらない

脳死に意識がないと断言できない
これが第二の理由



ちなみに俺は「脳に意識がある」とは考えてない
「意識があって、それに脳を始めとする臓器が付随する」と考えてる

もちろんこれもこじつけ
「脳に意識がある」ってのと同じ土俵でしかない

だから俺はその考えそのものを否定するつもりはない


俺は「思ってる」だけで、正しいとまでは考えてない
ぶっちゃけ答えなんて知らない



知るを知ると為し、知らざるを知らざると為す
これを知るという

本当は分かってないのに、「絶対正しい」という前提で人の生き死にを扱うんだから怖いよね










そして臓器移植手術のあとのお話

ぶっちゃけていうと、「臓器移植しなかった方が長生きできたんじゃね?」って例はたくさんある
透析で10年20年生きてたのに肝臓を移植したら数ヶ月で死にました、なんて人は結構いる

で、医療界はどう考えてるかというと「移植しなければ数日で死んでた命だし(透析をしないとは言ってない)」って感じ
あのさあ…


そして「近年は医療が発達してきてて、昔は数ヶ月で死んでたのに数年生きるようになりました!」って臓器移植を宣伝?してる
これって治療の体(てい)をしたただの人体実験の結果なんじゃね?と俺は思うのよ




それでも日本の臓器移植技術は優秀らしい
海外じゃ10年で50%を切り始める生存率が、日本だとおおよそ90%

この理由は技術の問題だけじゃなくて、死後の臓器提供が少ないからってのもありそう
海外では死後の臓器提供がほとんどだけど、日本では逆にあまりないから

うん、日本の臓器は新鮮そのものだね(にっこり)



あと術後は死ぬまで免疫抑制剤が手放せないから、投薬治療大国日本はこの点でも優秀そうだ
臓器移植後に死ぬのは拒絶反応が原因だろうし



医療界への不信
それが第三の理由






だいたい「死とは何か?」って答えがまだ出てないのに、脳死を死と断言することに強い違和感を俺は感じる
だから俺は臓器移植はしない
提供もしない

健康保険証の裏にはちゃんと「臓器を提供しません」って書いとるで!(ゲス顔)







でも臓器移植って考えがあってよかったと俺は思う
Angel Beats!の天使ちゃんかわいい
天使ちゃんの損失は、人類の損失

天使ちゃんマジ天使!


…誰だ!
「あんな状態で臓器を摘出できるわけないだろ」って冷ややかなツッコミを入れるのは?!








この記事を書くのに3時間くらいかかった
牌譜記事よりはマシだが、思索カテは調べながら書くから時間がかかる

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