論理のすすめ

ブログを書いていると、いろいろなコメントをもらえる
基本的に好意的なコメントが多いなか、たまに攻撃的なコメントがあるのも事実

そういうことがあると「蒼夜さん、大丈夫かな?」と心配してくれている人がいるかもしれない
大丈夫、俺はそういうコメントも大好物です(にっこり)





俺は議論は好きである
だけど、今の俺は好き好んで議論をしようとは思わない

それは一般人のほとんどの人が議論について何も知らないことが多く、議論が始まったら収集がつかなくなってしまうからである



ちなみに俺が10代の頃、誰彼構わず議論を吹っ掛ける理屈男であった
そんな俺だから、「議論に勝つためには論理力が必要だ!」と判断して論理の勉強を始めた

そしたら俺が考える「議論」の無意味さに気づいて、そんなことに興味がなくなった
今となっては論理の勉強をしてよかったと思う





まず議論についてだが、議論には大きく3種類ある
討論、議決、そして対話


討論はテレビでよくある、アレである
出演者が意見をぶつけあうやつ

あれの勝ち負けは誰が決めるか?
司会者ではなく、視聴者である

だから、「議論している当人に勝ち負けは決められない」のだ



次に議決
議決は政治家が行うような話し合い
グループに分かれて議論を重ねて、最終的に投票をして、より票数が集まった意見の勝ち

これも「議論している当人に勝ち負けは決められない」



最後に対話
これはネットでよく見かける、個人と個人が意見をぶつけ合う議論
じゃあこれは誰が勝ち負けを決めるか?


…いないんだな、これが
勝ち負けが存在しない議論、それが「対話」




対話の目的は白黒をはっきりして、相手の意見をねじ伏せるものではない
意見を交換し合ってお互いの知識を深め合う、いわば「交流」なのだ


だから「どっちが正しいか?」を求めてするものではない
勝ち負けを決める審判がいないんだから、綺麗に終わることも珍しい
それを間違えてしまうから、大抵はお互いの意見をぶつけ合った結果、関係が壊れることも多い





つまりだ、いくら論理力を鍛えても「相手をねじ伏せて勝利する力」なんてのは身につかない
では論理力とは何か?

それは当然「発言のつながりがおかしくないか」を見極めるためである


勘違いして欲しくないのはこれは相手の発言だけでなく、自分の発言にも当てはまる
相手の発言に論理的欠陥がないかを判断するだけでなく、自分の発言にも論理的な間違いがないかを判断するためでもある


その結果、お互いの発言におかしいところがなくなり、効率的に情報の交換が行える
それを目的にするための知識が「論理力」






だから論理をわきまえた人は相手の考えに対して反論から入らない
質問から入る

質問をして、相手の意見を理解して、その利点を自分のものにする
これが本当の「議論」の目的





これが分かってない人はまず反論から入る
そして反論をしたら、それに対して反論が入るに決まってる

そしたら大抵の場合、相手はこう言う
「どうして反論するんだ!」と


天につばきす、とはよく言ったものである
吐いたつばが自分にそのまま返ってきてるだけなのに



まあ俺は反論するのもされるのも嫌いじゃないからどんと来いなのだがw
ただし波風が立たないように、俺は大抵「そういう考え方もあるよね」で最初はなるべく穏便に済ませようとする


それでも反論されようものなら、相手の意見のおかしいところを突っ込んだり、よく分からない意見に対して質問する
相手がしたいのは「お前は間違ってる!」ではなく、「俺の意見を聴け!」が本心なのだ

とりあえず話を聞いたら落ち着くだろ(適当)



そしてそれに付き合うのは暇人か、もしくは極度のお人よしのどちらか
俺の場合、両方である(笑)






俺は論理を勉強した
そして論理を知らない人から議論を吹っ掛けられることがある

でもそれは全然かまわない
俺は誰にでも発言の自由があると思ってるから


「論理力のない人は発言するな」なんて言わない
気に食わないコメントでも削除しない

どんな意見でも真摯に相手をしようとする
それが俺





ただし、それが絶対に正しいとも思わない
俺は人格批判されても気にならないけど、自分のことを悪く言われるのは誰だって嫌なこと

そういう人はいい人ぶって、どんな意見でも相手にしようとしない方がいい
ストレスがたまるだけ

相手にしないで静かにコメント削除した方がいい
だってそのためのコメント削除機能なんだからw





ブログを書くということは自分の意見を世界に発信するということ
世界に発信するということは、読者に意見するということ
そしたら読者がブログ主に対して、何かを発言する権利も当然あるということ

「不快なコメントが1つでもつくのは嫌だ」って人はブログを書かない方がいい
嫌なら書くな、の精神



不快なコメントをされてもそれに対して黙って削除するなり、相手と対話するなり、何らかの対処ができる人だけがブログを書くべき
はっきり言ってそれ以外の人にはブログはオススメできない

それでもどうしても書きたいって言うなら、コメント欄を閉じた方がいいだろうね






ただ幸いなことに、このブログにつく9割のコメントは好意的なものである
そういう時、ブログを書くことに楽しさを覚える

議論もどきも楽しいっちゃ楽しいけど、あれって体力も時間も頭もだいぶ使うんだよねw








そんなこんなで、俺は好意的なコメントであれ、批判的なコメントであれ、どんなコメントも基本的に受け入れる
このブログは俺が思ったことを書くのだから、読者も思ったことを書けばいい
正しい意見も間違った意見もどんと来い



でもそんな俺でも削除するコメントは存在する
それは大きく2つ


1つはこのブログや俺に対して、何の想いもこもっていない発言
代表的な例はスパム

好意的なものであれ、批判的なものであれ、俺やこのブログに対して何らかの感情がこもった意見であれば俺はちゃんと相手をする
でもスパムコメントはプログラムで機械が書いたものだったり、手作業で書いてても俺やブログに対しての想いではなく、「書いて顧客を増やしたい」としか思ってない

だからそういったものは相手にしないで削除する
どうせ相手も俺の返事なんて読まないし(笑)





2つ目は俺以外の個人に対する誹謗中傷が入ってる場合
俺のことをバカにしても全然構わない
でもその矛先が他の人に向くようであれば、俺は容赦なく削除する

俺のブログで、他人さまに迷惑かけるわけにもいかないからね
蔑むのは俺だけにしておくれ


…まあ、さすがに歴史的人物とか今現在の政治家に対する批判とかだったら一議論として認める場合もあるけど(笑)
「○○議員の政策はおかしい!」とかならオーケーだけど、「○○議員は死ねばいいのに!」なんて暴力的な発言は消す可能性大

ここら辺は俺のさじ加減によるとしか言えないけど、常識的な範囲内ならオーケーってことで







ちなみに俺はあえて詭弁を用いることも結構ある
相手が論理を知らない場合、俺がいくら論理を用いても相手に通用しないから
日本語が分からない人に対して日本語を話すようなものよ

だからあえて詭弁を弄して、話が変な方向にいかないように持っていこうとする




論理がないのが悪いことじゃない
詭弁を用いることが悪いことじゃない

要はそれらの「道具」を、どう使うかが大事




論理力のない人は発言するな、なんて言論弾圧は俺はしたくない
論理力がない人の意見でも正論は存在するのだから


でも論理は勉強して損はないと思う
論理をわきまえた人同士が議論をすると、お互いに「あなたのおかげで考えが深まりました。ありがとう」で終わって気持ちいいものよ

とはいってもそんな議論、30年近く生きててまだ1回しかないんだけどさ…w
あれは本当に気持ちよかった


論理は武器ではなく、道具なのだ
包丁のように武器ではなく、道具として用いるべき
そこを間違ってはいけない(戒め)

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