因果の話

前々から「因果応報」の考えについて書こうと思っていた
でも忙しいのと「別にどうでもいい話だし」と思って、書かなかった

でもまとめを何気なくまとめてたら因果応報とかいう謎理論wwwwwwwwwwwwwwwwなる記事を見かけた
ああ、これは書けってことね



今回はそのお話





最初に断っておくけど、俺は仏教の勉強をしたことがない
説話を多少知っているくらい

だから「お前が偉そうに仏教を語るな」と仏教に詳しい先生方は思うかもしれない
(知ったかぶりで)すまんな

ただ、ここは俺が思ったことを書くブログ
「思ったことを書く」だけなので、正解も間違いもない

俺の素直な感想でしかないのだ



ただし反論を認めないとか、そんなことを言いたいわけじゃない
意見があるなら遠慮なくどうぞ

反論をされるとか意見を言われるのは、「俺がブログを公開している」ために発生する因果
だからそれを否定なんてしない





そんなどうでもいい前置きをして、とりあえず因果応報についての話に戻す

まず「因果応報」
すべての結果には必ず原因がある
そしてそれらは相応な報いを受ける

そういう意味



これだけを純粋に受け止めると、「いいことをしたらいいことがある。悪いことをしたら悪いことがある」なんて意味はまったく含まれていない
そう、ぶっちゃけると「善行は善い結果を、悪行は悪い結果を生む」なんて生易しいものではないのだ

いいことをしようと悪い結果になることもある
悪いことをしてもいい結果になることもある



そもそも「これはいい行いだ」「これは悪いことだ」なんて価値判断は人間の決めつけでしかない
「これはいい結果だ」「これは悪い結果だ」なんて価値判断も人間の決めつけでしかない

そんなもの、「天の法則」の前では無意味
だから悪いことを一切していないキリストは磔だなんてむごい死に方をしたわけだ




「あなたは冤罪で死刑になりました。これはいいことですか?」と聞かれて、「いいことだ!」と答える人はまずいない
キリストの処刑も表面上は不幸の極みでしかない
誰だってあんな死に方はしたくない


でもあの死に方があって初めて、キリストは「キリスト」になれたのだ
今も多くの、世界中の人たちの心の支えになっているのだ


天の視点でいうとイエスの処刑は「善」であり、地の視点では「悪」
天と人の視点には、大きな隔たりがある


そもそも、この世界には「善」しかないのだがね
「不幸」なんて一つとして存在しない

それが天の視点



でも苦しいこと、痛いこと、怖いこと、悲しいこと…
それらは人間にとって「悪」でしかない

だから人は何かに依存して生きるのだ





…ええと、話が若干脱線したね
話を戻すか



このように「善因善果」「悪因悪果」と「因果応報」は何の関係もない
少なくとも、人間の視点からは

魔王を倒したことで、王様に「褒美に死をやろう」と言われる勇者も世の中にはいるのだ←唐突な自作クソゲーの宣伝





「因果応報」は因果についてだけを語ったものではない
これは「諸法無我」について語ったものでもある

諸法無我とは「すべてのものはつながっていて、完全に独立したものがない。そして『我』も存在しない」という仏陀の教え
スピリチュアルをかじったことがある人なら「ワンネス」の方が馴染みがあるかもしれん



それらの「つながり」は、生物や無生物といった物質だけに限定された話ではない
原因や結果といった、物質とは直接関係のない事象も含めて「自分」である

「因果応報」の四字は奥が深いのだ
決して「いいことをしたらいい結果が来るよ!」なんて、薄っぺらいものではない






「じゃあ生まれてすぐ死ぬ赤ちゃんがいるのはどうして?」と思う人もいるだろう
あれにもたしかに原因がある

ただしその原因にはいろいろあって、人間に推し量れるようなことではない



前世に悪行を積んで、その結果すぐに死んでしまったなんて人も確かにいるだろう
でもそれだけじゃない


徳が相当高い人が命の尊さを教えるために、わが身を犠牲にすることもある
そういう人たちは「自分の魂を成長させるため」ではなく、「他人の魂を成長させるため」に生まれるのだ

でもそれは他人のためではない
すべては一つであるから、結果的に「自分の成長」につながるのだ


徳が高い人たちはそのことをよく知っているから、生まれてすぐに死ぬことだってある
本当は死にたくなかった思いもあっただろうがね








「因果応報」の誤解にはいい面も悪い面もある

いい面は「いい未来のために、いい行いをしよう」と、人に善行を促すきっかけになること
とはいっても結果を求めて善行を積むのは「偽善」という悪だがね

「やらない善よりやる偽善」なんていうが、その偽善をきっかけに善行を行うようになれば素晴らしいもんだ
じゃけん、被災地に千羽鶴と擦り切れて着れなくなった衣服とすぐに腐りそうな新鮮な食べ物を大量に贈りつけましょうねぇ~(ゲス顔)




悪い面は障害をもった人たちに対して「こいつは前世で悪い行いをしたから、障害があるのだ」と見下すきっかけになること

まあいいんだけどね
そんなことをやってる人は来世で障害持ちになるから
「障害があるからといって、悪い人とは限らない」と学ぶために

だから、遠慮なくどんどん見下すといいやで(にやり)






善因善果を釈迦が説いたのか、いまいち分からなかった俺
でも調べてたら大乗仏教の方が引っ掛かった

釈尊が言ったのか言ってないのか、はなはだ疑問である



まあ言ってる可能性は否定できないがね
仏陀は相手によって教えの内容を変えていた

だからどうしようもなく悪行を重ねている人に対して、「善因善果」と説いた可能性もある
嘘も方便よ








…と、ここまで長ったらしく書いてきてなんだけど、実際には「原因」も「結果」も存在しない

すべてのものは一つの流れでしかない
それらを人間が切り分けて「これは『原因』」「あれは『結果』」と判断しているに過ぎない


まあ、だから、その、ここまで語ってなんだけど、「因果応報」は本当はないのだ
でもあるのだ


うん、いつもの「あるけどないよ!」のパターンだね(にっこり)



これが俺が「因果応報について書く必要なくね?」と思っていた理由
存在しないものを存在するように書くのが馬鹿馬鹿しかったのだ
でも、まあ、あるっちゃあるし…

頭で思っちゃったからね
しょうがないね


「思ったこと」を「文章」に変える能力(ちから)!

理想を現実に変える能力をください(切実)

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