光と闇

スピリチュアルブログではコメントが承認制なところが多い
それはたまに荒らしが湧くから

そういうコメントは「波動の次元が低いから」なんて理由で、よくシャットアウトされる
それについて、俺が思うこと





俺は心理学系の大学を出た
理由は当時、臨床心理士になろうと思っていたから
悩める人を救えるように

でも大学在学中に現実を知った
所詮、臨床心理士も職業の一つだったってことを
カウンセリングも商売の一つに過ぎないってことを



で、俺は「なあに、臨床心理士の資格がなくても人は救えるさ」と方向転換した
現場に触れていると、抱いてた理想と本当の現実の姿は全然違うと認識することも多い


その後は貧乏フリーターやニートを経由して、今では偽装請負底辺社畜にグレードアップした
まあそれでも、人を元気づけることができるようだ

だから俺にとって金がないとか職がないとか、そんな問題は些細なものでしかない
てか今の環境でも悩みなんてない(迫真)




ニート時代には親のコネで世界的な優良福祉団体に就職できる道があった
知名度はフニセフ級で、小学生でも絶対名前を知ってるところ

でも俺はそれを蹴った
医療と福祉の世界は見限ってたから




「自分が裕福になれればいい」とか「お金が入るならどんな職業だっていい」とか、思わなかった
てか臨床心理士も、1回1時間のカウンセリングで1万円稼ぐ職業だからね

で、「患者には大金を払わせろ。治療の途中で来なくなるやつが出てくるから」とか「カウンセリングは時間厳守で、患者が遅刻しても時間外なら対応するな」とか、そんな話をするわけよ




もちろん深夜に電話が患者からひっきりなしに電話がかかってくるなんて事例もあるかもしれない
でも、だからといって全部の患者にそのルールを当てはめる必要もないわけで

人によっては深夜にどうしても話したくなって、臨床心理士に電話する人がいるかもしれない
それで患者と話すことで、自殺を思いとどまらせることもできるかもしれない

てか電話がかかって来た次の日に、患者が自殺してたとか俺はヤダよ
「医療のルールだから仕方ない」とルールの責任にはできるかもしれない

でもそうやってルールのせいにしてるだけじゃ、世界は何も変わらない
誰も変わろうと、変えようともしないのだから








荒らしは基本的に精神を病んでる人が多いと俺は思ってる
荒らし行為は荒らす当人にとっては実に合理的な手段

荒らしたら大抵反論が返って来る
何らかの反応がある
現実では誰にも相手にされないけれど、そんな自分にも返事がある
それが嬉しい


一方で返事がなかったとしても、それはそれで構わない
そのまま自分のコメントが消されても
だって悪口だもの
消されるのも当然な話

だから反応がなくても「書き込んだ内容が悪口だから無視されたり消されたりしても、それは当たり前だ」と自分を守ることができる
自分そのものを拒絶されたと思わなくて済む


多分、そんな心境にあるんだと思う







スピリチュアルを書く「先生方」は普段素晴らしい教えを説いている
やれ愛だとか、やれ救いだとか

でも、本当に救いが必要な人はブロックする
それがどうにも俺には偽善的にしか思えない



いやね、もちろん手に負えない相手に手を出すのはバカのすることだよ
でも普段どんなに高尚な教えを説いていても、実際の行動がそんなんじゃ口先だけな気がするのよ





俺のブログはコメントは公開制にしてる
非公開コメントはできない

これは自分の発言に責任を持って欲しいから
そしていろんな人の目につくところで悪口を書くのは相当勇気がいることでもある

多分荒らしのなかには俺のブログにコメントしようとしたけど、非公開コメができないから書き込むのをやめたって人もいるんじゃないかな





そして称賛だろうと反論だろうと荒らしだろうと、俺はちゃんと相手をする
1日100件とかコメントが付くようになったら、さすがにムリだけど(笑)

俺はブログで書きたいことを書いてる
そんなブログに、読者が書きたいことを書いてるだけ

はっきり言って、荒らしだろうと何だろうとやってること自体は俺とまったく同じなのよ
だから俺は荒らしを批判できない


そんなわけであえてNGワードも設定してない
好きに発言できるようにしてる







スピリチュアルブログを書いてる人は普段やれ仏陀だのやれキリストだのと、彼らのことを持ち上げる
でも、自分にとって不利益な相手には関わろうとしない


仏陀もキリストも、相手がどんな人でも自分と対等の存在として扱った
なのにスピブログ大先生は荒らしを「波動が低い」と切り捨てる

どうしてなんだろうね?








そもそも、ブログなんて媒体でやってるから荒らしが付くわけで
人の目に付くところで何かやったら、称賛する人もいれば批判する人もいるもんだよ
それなのに、どうして批判だけを切り捨てようとするのかねえ?


もちろん「批判」と言っても、まっとうな意見じゃないことも多い
俺の場合は「ヒモキュン」とか「バカ」とかいろいろあったもんだ

でも人によってそういう評価を下されても仕方がないことよ
人の数だけ世界はあって、その世界から見れば俺はヒモキュンでバカなのよ


俺はネット上だけでなくて、現実でもそんな扱いは珍しくなかった

ある人は俺のことを「何でも知ってて頭いいよね!すごい!」と褒めてきた
ある人は俺のことを「こんなことも知らないのかよ。お前って本当にバカだよな」とけなしてきた

ある人は俺のことを「お前の顔ってキモいよな」と言った
ある人は俺のことを「すごく綺麗な顔してるよね。触ったら消えちゃいそう。どうして俳優にならないの?」と言った



それらの評価は全部正しいし、間違いじゃない
人によって評価は異なるものよ

それに一喜一憂するようじゃ、はっきり言って振り回されて疲れるだけ
評価に惑わされたらいけない



最近なんて「蒼夜さんって29歳なんですか?!30過ぎだと思ってた!」とある人に言われてた
ようやく童顔卒業かと思ったら、違う人2人に「え?!29?!どうみても25歳くらいでしょ!タメだと思ってました!」と言われた

世間の評価なんて全部そんなもんよ




だから俺はいくらけなされても、それで腹を立てない
「そういう見方もあるよね」と受け入れるから

てかそもそも、俺の考えが社会の一般的な意見とギャップがありすぎることは俺自身がよく知ってる
だから批判する人の気持ちも、痛いほどよく分かるのよ

それでいまいち批判のことを悪く言えないってのもあるんだよな…w







スピリチュアルブログがいうように、全ての問題は自分のなかにある
世界の捉え方に原因がある

でもね、それでも「お金がないから不幸だ!」って喚いてる人に「問題は心にあるんだよ」と説いても無駄なのよ
まずお金を渡してみて、「自分が不幸の理由はお金だと思ってたのに、お金があってもお金じゃ買えないものは満たされないんだ。いくら金を積んでも末期ガンを治せないなんて」と気づかせないといけない

「イケメンは人生イージーモードだ!」って人にはオシャレを教えてイケメンにしないといけない
そしたら「イケメンでも苦労してるんだな。毎日こんなオシャレに時間をかけるなんて、俺にはできないよ」と気づく

金持ちもイケメンも、それぞれ苦労してるのだよ




俺はスピリチュアルブログのように言葉で人に真理を教えない
そもそも真理なんて言葉にできない
それはスピリチュアルブログを書いている人が一番よく知っている



だから心で伝えるのだよ
行動で示すのよ
愛を知らない人間に、いくら愛を言葉で教えても絶対に伝わらない

それで気づくかどうかは当人次第
でも愛の存在を知ることはできるだろう

気づかないなら気づかないで、それはそれで構わないが(笑)









…脈絡がないな、いつもながらw

まとめるとこうなる


スピリチュアルブログは幸せの在り方を説くけれど、幸せから一番程遠い人を切り捨てるのはどうなの?
自分の考えに共感する人だけに囲まれてりゃ満足なんて、魂の次元が低い人でもできるよ?

でもまあ、それはそれで仕方ないよね
手に余る人を相手にしても、不幸になるのは自分なんだから



そんな感じ






スピリチュアルブログの大先生はみんな楽しそうな話をしてる
「真理に気づいて仕事をやめて、講演だけで生きてます!」とか「こんな有名な人と会いました!やっぱり魂の次元が高い人はすごい!」とか


でも、分かってないよね
スピリチュアルブログの始め方はだいたいこんな感じ
「自分は不幸だった。人生に絶望してた。でも真理に気づいてから幸せの連続です!」




でもその幸せは長く続かないよ
幸せの理由は真理を知ったからじゃない
今までの人生がド底辺の絶望まみれだったから、その反動で幸せタイムがやってきただけ


幸せタイムの反動が来たとき、初めてその「真理」が本当かどうか分かる
その時が必ずやってくる



キリストは悪魔に、釈迦はマーラに誘惑された
真理を知ったあとに

まあその時を楽しみにしてなさい、うん
今はうたかたの夢でまどろんでいるといいよ

てか今の夢そのものが、すでに悪魔の誘惑かもしれないね

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