流されて

今日も家のことはほとんど何もしていない

…イラストの練習はどうなったのかって?
ああ、そんなことするって話も遠い昔にしてたっけなぁ…(現実逃避)

今日は久しぶりにグロ動画像を観てた
初カキコども…

さすがにそんなことをする時間は無駄以外の何物でもないので、早々と切り上げた
退屈な日常に飽き飽きし始めて、多分俺のなかでは刺激が欲しいんだと思う
シゲキックス



今日のご飯はうまかっちゃんを食べた
久しぶりのうまかっちゃんはうまかっちゃん
そして無くなったうまかっちゃん


また買うか迷うな
名古屋でも手に入るんだけど、遠出しないと手に入らない

それに何だか自分で作るラーメンの方が美味しく感じる
野菜がたっぷりで、化学調味料も入っていないからだろうか
素朴で体が喜びそうな味をしてる
慣れるまでは正直味気なかったけど



慣れは大事だと思うこの頃
俺は一人暮らしを始めて数年経つまでは、お茶とジュース以外は飲まなかった
ちなみにジュースにはスポーツドリンクも含まれる

だが今では水以外ほとんど飲まない
始めの頃は金欠で仕方なく…って感じで水を飲み始めた気がするけど、いつの間にか水以上に美味しい飲み物がないと感じるようになった

今ではジュースは味が濃すぎて、体が受け付けない
歳かもしれん(真顔)




ラーメンの後はヨーグルトを食べることにした
ヨーグルトがめっちゃ臭かった
チーズ以上の発酵臭
多分ブルーチーズとかもこんなにおいがするんだろう


舐めてみた
ペロッ…これはヨーグルト!

味はおかしくなかった
つまり食べられる(確信)

はちみつをかけたらおいしかった
よかったよかった


でもでろんでろんになって、ほぼ液体になってる
この種菌がもう限界だろう
今の種菌は次で終わりにしよう




炊飯釜だが、今日発送したらしい
何だか遅いな

まあ来るならいいさ
届くのは明日だろう


明日はケンタッキーを食べる日
お米は炊かなくてもいい
よし、間に合ったな

万一届くのが明後日だったら、パスタ料理でも作ろう
そうしよう





最近俺がニートになりたい理由を考えていた
もしかしたら仏門に入りたいのかもしれない

「悟り」と言えば仏教だが、その悟りにもいくつかの段階がある
それぞれ以下のようになっている

・預流向(よるこう)
・預流果(よるか)
・一来向(いちらいこう)
・一来果(いちらいか)
・不還向(ふげんこう)
・不還果(ふげんか)
・阿羅漢向(あらかんこう)
・阿羅漢果(あらかんか)


預流向はまだ全く悟っていない段階
悟りとしてのスタートは預流果から

預流果の悟りはほんの小さなもの
「そうだ、煩悩を消すことが真の幸福に結びつくんだ」と気づき、それに向かって実践していく過程
ここに至ることは一来向の段階になることでもある


預流果に至った状態とは「諸行無常(全ての物は不変ではなく移ろいゆくもの)」「諸法無我(この世の一切には我がなく、実体がないものである)」を完全に体験する
そして預流果に至った者は、自然と悟りを深めていく


実をいうと不還果までの段階は別に修行とかしなくてもなれる
僧侶にならなくても、日常生活を送りながらでもここまではいける


でも最後の「阿羅漢果」だけは仏門に入らないとなれない
というか、阿羅漢向の段階でこの世界の全てのしがらみから解放されたがるのだ
自由と解放を欲するようになる


俺は子供の頃、なりたいものはホームレスだった
もしくは山籠もりをして、誰とも関わらない、そんな生活を望んでいた
まあ今もそれは変わらないけど


でもそれは結局出来ないでいる
今の生活基盤を丸ごと捨てたいとは思っているけど、それが出来ない状態
まあ簡単に出来るもんじゃないから、しょうがないけどね

もし今の時代に釈迦やキリストが近くにいたら、俺は迷うことなくついて行ってると思う
でも今はそういうことが簡単に出来る時代じゃないしなぁ…


ちなみに阿羅漢向の段階で必ず通過する仏門だけど、今の日本で当時の「仏門」と呼べるものはないと思う
原始仏教もだけど、どっかの寺院にこもってたわけではない
各地を放浪して、教えを広げていた感じ

もちろん拠点はいくつかあったけど
詳しい話は忘れたが(笑)


でも現代の日本仏教は寺や仏像に執着してるのよ
ああいうのに俺が求めている「仏門」はないんだよな

最低限の衣服と托鉢以外持たずに、人から余ったものをもらって、そうやって静かに暮らす
そういうのが「仏門に下る」だと俺は思う


まあ俺が釈迦やキリストみたいに、また何も持たずに各地を放浪する全く同じ団体を作ってもいいんだけど
でも俺の悟りの段階はよくて不還果手前の不還向辺りだし
正直荷が重い



不還果になると、この世の全てに執着しなくなる
「社会が悪い」と何かを恨むこともなく、「あれが欲しい。これが欲しい」と物に執着しなくなる
心は揺れず、淡々と毎日を過ごすことになる

ただし現世に対して執着しなくても、天界には執着する
そういう段階


阿羅漢になると「天界も無常なんだよな」と嫌気が差してくる
これが不還果と阿羅漢の違い



ちなみに阿羅漢果になるとどうなるか?
存在が完全に消滅します(真顔)
人によっては死ぬ


釈迦に「阿羅漢になりたいです!」と弟子入りを志願した人がいた
釈迦は「じゃあ修行中に着る布を持って来なさい」とその人に言った

弟子志願者は布を見つけて釈迦の下へ戻ろうとするが、途中で車にひかれて死んでしまった
釈迦が死んだ彼を弔おうとしたら、弟子が「どうしてどこの誰かも分からない人を弔うのですか?」と聞いた
すると釈迦は「彼はもう阿羅漢だからだよ」と答えたそうな
うろ覚えの逸話


まあ釈迦だけは例外で消えなかったけど
なんか天界から特別に消えないようにしてもらってたとか何とか
すごい(真顔)


釈迦の悟りのランクは阿羅漢だけど、初代阿羅漢ということで特別に「仏陀」と呼ぶ
まあ釈迦以前にも阿羅漢になった人はいたらしいから、初代阿羅漢というのもちょっと違うんだけど
正しくは悟りへ至るまでの道を明らかにした功績というか何というか…

まあ、そんな感じ(適当)




で、まあ、話は長くなったが、俺がニートになりたいのは実は阿羅漢になりたいってことなのかもしれん
今の時代、不労所得で生きるのが一番社会から隔絶された生き方だし

実のところ、俺って何が欲しいとか、何がしたいとか、そういう気持ちはあまり強くないんだよね
だからお金はあるけど欲しい欲しい言ってるグラボも買ってないわけだし



普段は生活を送るうえで必要だからってのもあって普通の人そのものだけど、スイッチを切り替えるといつでも無我の状態になれる
自分がフッと消えて、全て無になれる

でもだからと言って、釈迦やキリストといった偉大な賢者のように智慧ある話は何ら出来ないのだが(真顔)
まあそういう偉ぶった話がしたくて、悟りを拓いたわけでも深めたいわけでもないのだがね




そういや「聖者を怒らせることは不可能」って話があるらしい
これを確かめようと、後ろから思いっきり聖者を殴って試した人がいたんだそうな
殴られた聖者は殴られたことを全く気にせず、そのまま何事もなく歩いていたそうな

俺もいきなり殴られたくらいじゃ怒らないけど、ゲームをするとストレスに感じて激しく怒ることがある
アナログ系のゲームではそんなことはないのに、デジタル系だとそうなる不思議

徐々にそういうゲームから離れようとしてるけど、それじゃ根本的な解決にはならない
もっと禅定しないとね

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