瞑想とビジネス

瞑想を初めてしたのは15年くらい前
それから年に数回しかしなかったり、しても3分だけだったりと、本腰を入れたわけではない
そしてつい3日前に結跏趺坐を覚えてから、時間の合間を見て毎日総合30分している程度

そんな俺が瞑想で思うことを書くだけの記事
だから読む意味はほとんどない

大成功をしたビジネスマンには瞑想をしている人がいる
スティーブ・ジョブズとか
だから成功目的で瞑想を始める人も多いそうな


でもそれは「瞑想をしている人が成功した」だけであって「瞑想をしたから成功した」だけではなかろうか
俺が思うに、瞑想と社会的な成功に因果関係はない


もちろん瞑想をすることで頭の疲労感がなくなってすっきりしたり、ビジネスのアイデアが浮かんだり、集中力と持続力が高くなって結果的に成功することも多い場合もあるだろう
でもそれはたまたまそのアイデアが結果に結びついただけであって、瞑想中のアイデアがいつも正しくて成功するわけではない

瞑想で培った集中力や持続力も、それがビジネスに結びつかないのなら意味が無い
そう、俺が作ったアフィブログのように…(遠い目)



まず必要なのは集中力や持続力ではなく、正しいビジネスの仕方を考えることだと思う
結局社会的に必要なのはそういうセンス
センスがない人がいくらビジネスチャンスを求めて瞑想をしても、結局何も変わらない


まずビジネスチャンスをつかんで、それを発展させるために瞑想したら成功することもあるだろう
だけどビジネスチャンスをつかむために瞑想をするのは順序が逆のような気がする

ジョブズが瞑想中に「よし、Macを作ろう」とか思いついたなら話は別だが、そういう訳でもなさそうだ
瞑想中に浮かぶアイデアは天啓ではない



ビジネス目的に限らず、瞑想に何かを求める人は多い
やれ悟りだの、やれ精神的な安定だの

もちろんそれ目的で瞑想を始めるのは問題はない
でもそれにずっと囚われると、瞑想が逆に悪影響を及ぼすこともある
いわゆる魔境というものだ

悟りを拓きたい人がひたすら瞑想すると、いつか神を名乗る存在が語りかけて来るかもしれない
その言葉に耳を傾けて、「悟った!」と早合点する人もいるらしい



瞑想初心者なら誰もが経験していることだが、瞑想中にはいろいろと頭に言葉が浮かぶことが多い
「あれをしないと」だとか「昨日あんなことがあったな」とか
そういう頭に浮かんで来る言葉は雑念と呼ばれる

瞑想中級者にもなるとこういう言葉の雑念は消えて行くが、次に浮かぶ想念はイメージに近いものとなる
先述した自称神との邂逅だとか、抑えきれない不安感や突如浮かんだアイデアだとか

俺に言わせれば、それらも雑念だと思う



釈迦やイエス並になると悪魔が語りかけて来て、死の危機を感じさせるほどのものとなる
「瞑想を続けていれば雑念はなくなる」と思われがちだけど、瞑想中級者以上の人はなおのこと瞑想中の想念には気をつけるべきだと思う

何かが浮かんでも「これはただの雑念だ」といった受け流す意識が必要なのではなかろうか
逆にそれに囚われると、下手したら気が狂ってしまう場合も考えられる
雑念と現実の区別がつかなくなって



そもそも宗教で瞑想するのは「無我」を体感するため
それなのに「ああなりたい」「あれが欲しい」といった「我」を伴った目的で瞑想する
もちろん「無我に到達したい」と強く願って瞑想をする場合もこれに当たる

長い歴史の中で、瞑想の在り方が変わってしまったのだろうか


瞑想に何かを求めたらろくな目に遭わない
ただ座る、瞑想にはその意識が必要な気がする

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