意識と思考と自分と

書きたいことはあるが、内容が上手くまとまっていない
でも書きたい

まあ書いてるうちにまとまるだろ(適当)
テーマは「『自分』とは何か?」について

人はみんな、自分に意志があると思っている
自分の意志があって、それを自由に操れると

そしてそれを為そうとする思考を「自分」と考えている
「美味しいのが食べたい」だとか、「素敵な異性と付き合いたい」だとか、「めっちゃ眠い」だとか
はたまた「めっちゃいい曲じゃん!」、「あ!あれをしないと!」、「あの服より、この服がいいかな」なんて、そういう些細な思考も含めて


もし誰かに「あなたは『自分』が何人いますか?」と聞かれたら、「は?一人に決まってるでしょ」と答えるだろう

そりゃそうだ
自分は一人しかいないのだから
例え自分と全く同じ顔をした、自分と全く同じ考えの人がいたとしても、双子の兄弟だとかドッペルゲンガーだとかとしか思わんだろう
それは自分ではない



俺は最近、瞑想をしている
瞑想をした人は分かると思うけど、瞑想をしているとあれこれ雑念が湧くものだ

「もう10分くらい経ったかな」「飽きたな~」「瞑想終わったらあれがしたい」「足が痛い」…
そんな雑念が

でも雑念が止まると、無の状態になる
思考が止まり、意識だけがある
それが瞑想状態と言われるものだ



瞑想をする人は「意識」と「思考」は完全な別物だって感覚的に分かると思う

でだ、上に書いた通り「自分」は一人しかいない
じゃあ「意識」と「思考」はどっちが「自分」?

思考がない状態で意識があることはある
でも意識がない状態で思考があることはない

だから「自分は一人(一つ)しか存在しない」「意識と思考は別」って前提が成り立つとすれば、意識の方が本当の自分
思考は実は自分ではない
思考が自分だと感じるのはただの幻想で、錯覚で、思い込みでしかない



「リベットの実験」と呼ばれる、自由意志に関する興味深い実験がある
この実験によれば、人は「腕を曲げよう」と思考する前に、既に腕を曲げることが証明されている

まず脳が腕を曲げるよう、腕に命令する
そして腕が曲がる
それから「腕を曲げよう」って思考が働く
まあ平たく言えば、これが人間の行動の流れな訳ね

「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!
その時スデに行動は終わっているんだッ!



でだ、この実験はよく「思考より先に体が動いてるんだから、人間に自由意志はない証明だ」と言われる
俺は思考=意志とは考えていないが、それを前提にすればそうなる
俺は意志は思考じゃなくて、意識寄りの感覚だと思うけど

まあどっちが正しいとかじゃなくて、「意志」の定義が違うんだろうね
俺とその人とで
普通は「思考=自分」って考えるし


心理学をかじったことがある人は「人の顕在意識は、無意識に比べたら氷山の一角に過ぎない」って言葉を聞いたことがあると思う
リベットの実験は、これを脳生理学的に証明した実験だと俺は思ってる

腕を動かそうとする「顕在意識」より、思考にはない「無意識」が先立ってるのよ



…なんか、読んでてこんがらがりそうになって来たな
冒頭で俺が書いた「意識」は心理学の「顕在意識」のことではなく、「無意識」の領域の一部分だから
これだから科学の用語は…



ちょっと話を変えよう
俺が言ってる「意識」はパソコンで言えば「BIOS」ね
そして宗教で言えば「魂」と呼ばれるもの

一方で「思考」はパソコンでいう「OS」
宗教で言えば「輪廻して現世にいる自分」みたいな


…「宗教って、なんの宗教だよ」って言われても正直ちょっと困るけど
仏教もキリスト教も、「魂はない」って解釈だし
でもどちらも輪廻転生を認めてる節もあるし

詳しく話すと長くなるから、この話はまた別の機会に
てか似たような話は過去に書いてるが(真顔)


俺が言ってるのは特定の宗教の宗派じゃなくて、日本人が知識として持ってる「輪廻転生ってこんな考えだよね」の感覚のアバウトな宗教観のことね
輪廻転生が実際にあるかは置いといて




以上のことから、俺が「『思考』は自分ではない」って考えてることは分かると思う
だからぶっちゃけ、「俺はこれがしたいんだ!」「こんなの嫌だ!」って思考があったとしてもそれは自分の本心ではない

幻聴は自分ではないけど、それと同じように思考も自分ではない
自分だと感じてるのはあくまで錯覚なのよ


瞑想はそういう「自分でないもの」に振り回されないで、「自分」を見つめるにはいいツールかもしれないな、と感じたこの頃
まあ、そんだけ





ただし科学には反証可能性が常に伴う
今の科学では「脳は記憶を貯蔵して、全身に命令をする器官」と考えられている
これが誤りの可能性もある

実際、心臓移植するだけで性格が変わったり、好みや趣味が変わったり、特技が増えたって人もいる
実は脳は今考えられている役割とは全然違うのかもしれない



脳から体への命令は神経を通じて電気信号を送ってるって話が現在の科学では一般常識
でもここで一つ、面白い話
上で書いた「リベットの実験」には続きがある


「リベットの実験」では、皮膚に触る(①)→皮膚から脳に「触られた!」って情報を送る(②)→脳が触られたことを知覚する(③)の速度も測っている
それ以外に皮膚に触らずに直接脳を刺激して電気信号を送った場合の時間を比較した
脳に直接刺激を送っている分、①を省いただけだ


①~③にかかった時間と、後者の②~③の時間を比較した場合、なぜか①~③の方が時間が短かった
①~③だと触られた部位から脳に電気信号を送る分、脳の中だけで情報が完結してる②~③よりも確実に物理的な距離が長いのに

「50m走より100m走の方がタイムが短い」って現象が人体では起こってる
なんでこんなことが起こるのか、今の科学では不明

もしかすると量子テレポーテーションみたいな現象が、実は人体では起こるのかもしれんね
俺のただの憶測だけど



こんな感じで科学とは反証可能性が大いにあって、今の「科学の常識」がいつひっくり返ってもおかしくない
科学はそんな危ういものでもある

物理法則ですら、今と昔とで全く同じだって保証はない
人間が「一万年前だろうと現代だろうと千年後だろうと、物理法則は常に同じ!常識的に考えて!」って決めつけてるに過ぎない


だから科学を本当に知ってる人は「科学的に証明されています!」と自信満々に言ったりしない
そんな話もしたかった


これに関連して「『死ぬ』とはどんなことなのか?」って話もしたかったけど、長くなったからやめよう
まあ気が向いたら書こう
大した話でもないし




案の定、まとまってない話をしたから話が多少脱線した
まあいつものことだけど


あといろんな視点をごちゃまぜしてるから、分かりにくい
「『意識』だけど『無意識』」だとか、「『思考』は自分ではないけど、『輪廻して現世にいる自分』」だとか

スピリチュアル的な用語でいえば、「自我」と「真我」の違い
「自我」は自分ではない
でも日常会話とか哲学的な話では「自我」は自分なのよね…


俺のなかでは矛盾がなくてすっきりしてるんだけど、用語のせいで表面上矛盾だらけになってる
まあいいや



てか俺は別に「矛盾があるのは誤りの証拠だ!」とは考えていないんだがね
それも科学が「そう定義しないと話が進まないから!」って勝手に決めた前提だし

物理学だとか化学だとか、独立した分野では確かに矛盾はないかもしれない
でもそれらを全て「科学」とひっくるめて俯瞰した場合、矛盾だらけな気がする
生物学的に言えばキノコは菌類で植物じゃないけど、農学的には野菜で植物扱いみたいな感じで

分野や人によって、内容が矛盾しててもいいものよ
真実は一つとは限らんのよ


「正しい」ってのは本当に難しいことで、「正しい」なんて言えるものはないんだろうなと思うこの頃
そしてこうやってまた脱線するこの頃

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