なまへいほう大疵のもと

宮本武蔵「13歳で初めての殺し合いに勝利した。その後60戦無敗」←これのソースが自分語りという現実

武蔵が雑魚だったかどうかはいいとしよう
でも武蔵のことをほとんど知らないのに知った口を利く人間が多い
まとめを読んでてまたそう思ったので、とりあえず書こう

まず五輪書に「口伝」の記述が多い点
これは本当

直通のくらいなんて「直通の心二刀一流の実の道をうけて伝ゆる所也。能々鍛錬して此兵法に身をなす事肝要也。口伝。」としか書いてない
何のことだか、五輪書だけでは分からない


でも武蔵のことをちゃんと知ってる人は気にならない

五輪書には草案があって、それを「兵法三十五箇条」という
このなかに「一 期をしる事」がある

「期をしると云事は、早き期を知り、遅き期を知り、のがるゝ期を知り、のがれざる期を知る、一流に直通と云極意あり、此事品々口伝なり」と書かれている
まあそれでだいたい分かる


ちなみに五輪書は「二天一流を数年鍛錬して初めて顕した書物」
兵法三十五箇条は「二天一流を数年鍛錬して初めて筆紙にのせたもの」
似てるけど違う



でだ、五輪書は五巻にまとめられている
「地の巻」「水の巻」「火の巻」「風の巻」「空の巻」

ちなみにオリンピックの五輪とは全く別物だぞ
五輪書の五輪は仏教の五輪をもとにしてるから


この「地の巻」が五輪書一巻目に当たる
書き出しは「兵法之道二天一流と号し数年鍛錬之事初而書物に顕さんと思。」

まあこれから分かるように、二天一流はあくまで武蔵が五輪書を書いた時の流派名
もちろん剣術を数年鍛錬しただけで五輪書を書いた訳ではなく、すぐ後に「我若年のむかしより兵法の道に心をかけ」とある
小さい頃からちゃんと兵法の修行をしていたのだ


そして更に言うなら、武蔵は二十代の頃に既に兵法書を記していた
それを「兵道鏡」と呼ぶ
当時の武蔵の流派名は二天一流ではなく円明流


司馬遼太郎が「武蔵の剣は獣の剣で、武蔵しか使えなかった。だから流派が残ってない」なんて大嘘を書いてる
実際は熊本にまだ二天一流の流派が複数残っている
それでいて、この円明流も鳥取県にまだ残っているらしい

スレにある「見切り」の話も司馬遼太郎の小説が元ネタ
史実ではない

小説はあくまで小説であって史実ではない
でも歴史オタクはなぜか司馬遼太郎の小説を史実兼資料扱いするんだよなぁ…




で、スレでは「武蔵は吉岡門との試合で勝ったと自称してる」と書いてる
これは嘘
武蔵が直接自称してるのは五輪書にある、次の記述くらい

「十三の時に有馬喜兵衛という兵法者に勝った。ついで十六に秋山という強者に勝った。二十一で上京して、天下の兵法者に会って何度も戦ったが、勝利を得ないことはなかった。それからも諸国を回って六十数回勝負をしたが、一度もその利を失わなかった。これは齢十三から二十八、九までの話である」

吉岡門と戦ったとも、佐々木小次郎とも、戦ったとは一切書いてない

書いてるのは武蔵の養子伊織の碑文、そして武蔵死後に記された書物
武蔵自身はどちらも特に触れていない


吉岡門側に残る伝承の書物には「武蔵とか雑魚www俺勝った上に武蔵逃げたしwww」と書いてる
吉岡門、何があった

てか武蔵が本当にただの雑魚だったら、そんなもん書かずに無視せぇよ
負け犬の遠吠えにしか聞こえんぞ


巌流島の決闘に至っては、佐々木小次郎についての資料がほとんど残っていない
本名もわかってない
てか実在したのかすらよく分からない状況
武蔵の死後に、武蔵の伝記に登場する程度だから


そして巌流島の決闘だけど、武蔵は遅刻してないとしてる説もある
巌流島の決闘で武蔵が遅刻したとされるのは、二天記を資料にした吉川英治の小説が有名だから
だから小説を史実扱いするなと(ry

ちなみに息子伊織の碑文では「両雄、同時に相会す」と書かれていて、同時に島に着いたとされている
これもうわかんねぇな



武蔵の弟子が佐々木小次郎フルボッコ説もよく言われる
でもあれは武蔵が試合に勝った後に息を吹き返したのを、弟子が集団でとどめを刺したって話
武蔵自体はちゃんと試合を行って、それに勝利してる

まあどちらにせよ、小次郎は一対一の試合で負けてるのよね(真顔)




そうそう、武蔵は関ヶ原に出て西についたって話も鉄板だけど、実際は不明
西についたとされるのは吉川英治の小説が(ry

ちなみに西軍とするのは二天記の説
東軍についたとするのは伊織の碑文の話

武蔵自身は関ヶ原に出た話は一切してないし、実際は分からない



二天記二天記って書いてるけど、これが武蔵最古の伝記だからしょうがない
武蔵創作物では一番元にされてる
歌舞伎とかでもそう

ただし二天記は間違いが多いことでも有名
武蔵の戒名ですら間違ってる
そして武蔵の勝った逸話の大半は二天記が元ネタ
碑文では「誰々と戦って勝った」程度しか書かれてない

う~ん…



…あ、でも吉岡門百人斬りは伊織の碑文にも書かれてる
武蔵自身も五輪書に「多敵のくらい」と、1人で大勢の敵と戦う時の兵法を書いてる

つまり武蔵は百人斬りをしてる
多分
実際は知らん




個人的に武蔵の功績は五輪書と、今も残ってる芸術品だと思う
実際は強かったか弱かったかじゃなくて、その実を見ればいいのに

武蔵の著書を読めば、本当に強かったかどうかは明白でしょ
武蔵自身「五輪書には暗号とか使わず、誰でも読めるようにした」って書いてるし、難しい話は一切ない

とりあえず五輪書を読め
弱者に正しい兵法書は書けんよ

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